そのクルマは未来からきた:フェラーリ「512 S モデューロ」

1970年の誕生から今日に至るまで、フェラーリ「512 S モデューロ(512 S Modulo)」は、人々の注目を集め続けています。デザイナーの空想をそのまま現実にしたような、この甘美なウェッジシェイプ(くさび形)のスーパーカーは、ただただ感動を与えるためだけに存在しているのです。512 S モデューロは量産されることのないコンセプトカーでしたが、1970年代から80年代初頭のウェッジシェイプ・フェラーリの先駆けとなりました。

1970年のジュネーブモーターショーでデビューした512 S モデューロは、ベルトーネの「ランチア・ストラトス・ゼロ(Lancia Stratos Zero)」に対抗すべく、ピニンファリーナが生み出した武器でした。22もの国際的なデザイン賞を受賞していることから、どれほど当時の注目を集めたかは想像に難くありません。

世界各地でクルマが普及し、デザインや技術が育まれた時代。宇宙やSFへの関心も高まっていた。

60~70年代はクルマ好きにはたまらない時代でしょう。マスタング、コルベット、スカイライン2000GT、S800、コスモスポーツが街中を闊歩していた時代です。60年代後半から70年代初頭にかけて、ヨーロッパのコーチビルダーは曲線を避け、直線と鋭角を好むようになりました。ベルトーネがランチア・ストラトス・ゼロで世間を驚かせたのは、そんなデザイン転換期の真っただ中に開催されたトリノ・モーターショー(1970年)でのことでした。しかし、ピニンファリーナは切り札を隠し持っていました。

全長4,480mm、全幅2,048mm、全高935mm。この中に当時のV12が収まっていると思うと不思議である。

フェラーリ 512 S モデューロのデザインは、当時ピニンファリーナでチーフスタイリストを務めていたパオロ・マルティン(Paolo Martin)氏が担当。全高935mmという極めて低いウェッジボディに、部分的にカバーされたホイールを備えていました。従来の車に見られるようなドアはありません。戦闘機のような「キャノピー」スタイルのガラスルーフを採用し、エレガントに前方へスライドさせることで乗り降りができるようになっています。米ソの宇宙開発競争や69年のアポロ11号月面着陸など、未来・宇宙に対する関心が最も高まっていた当時の世相を表すような、近未来的デザインでした。

ドアの開閉方法は、近未来感・先進性を分かりやすく表現するギミックの1つだったと言える。

矢のようになめらかなウェッジボディの下には、グループ5(FIA規格)のレーシングカーが隠れています。ベースとなっているのは、フェラーリのレーシング部門であるスクーデリア・フェラーリのために25台だけ生産された512 S。そのうち予備の1台をピニンファリーナに託し、一点もののショーカーを作らせたのです。

周りに立つ人と比べると、その低さがよく分かる。

ピニンファリーナのデザインスタジオから生まれた512 S モデューロは、エンジンもトランスミッションも稼働させることなくジュネーブに到着。穴の開いた独特のエンジンカバーの下には、550馬力を発生するフェラーリ製5.0L V12エンジンが搭載されていました。フェラーリによると、最高速度は354km/h、0~96km/hの加速は3.0秒だといいます。

車名の「モデューロ」とは「宇宙船」を指すイタリア語が元になっている。

2014年、ピニンファリーナはこの車をオークションにかけ、アメリカの映画プロデューサーであり熱烈なフェラーリ愛好家でもあるジェームズ・グリッケンハウス(James Glickenhaus)氏に、非開示の金額で売却しました。グリッケンハウス氏は、エンジンとトランスミッションをオリジナルの512 S仕様に再構築するなど、入念なレストアを行いました。5年の歳月を経て、2018年にイタリアのヴィラ・デステで開催されたコンコルソ・デレガンザ(旧車イベント)で、2度目の世界デビューを果たしました。

ランボルギーニ「カウンタック」が車好きにとって憧れのスーパーカーになるより何年も前に、フェラーリ「512 Sモデューロ」は、未知の領域に踏み込んだモデルでした。50年経った今も、この車は時代の先を行っています。

林 汰久也

愛知県在住29歳/ハウスメーカーの営業を経て、IT系ベンチャーのメディア事業に参画。2020年よりフリーのライターとして活動開始/愛車遍歴:マツダ『RX-8』⇒シトロエン『C4』⇒スバル『フォレスター』&ホンダ『クロスカブ50』/ゲームはPS派だが、最近ゲーミングPCが欲しいと思っている。

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