ベントレーの伝統と遺産 不滅のミュルザンヌ、ラストドライブ

世界中の自動車メーカーが電動化への舵を切る中、伝説的なベントレー『ミュルザンヌ』は、10年後もラグジュアリーカーの道を切り開いていくでしょう。手作業で作られた超豪華なミュルザンヌ・スピードは、11年の生産期間を経た今でも希少価値があり、パワーと贅の両方において妥協のない存在です。

初期の「馬のいない馬車」が動物をシリンダーに置き換えたように、ミュルザンヌもまた、遠くへ、速く、そして優雅に移動するためのストレートなアプローチを取っています。記録的なポテンシャルを持つ巨大なエンジンと、アートギャラリーともいえるキャビンを手に入れるのに必要な価格は342,300ドル(3,546万円)。

ベントレー『ミュルザンヌ・スピード』

ミュルザンの生産中止と同時に、動力源であるエンジンに幕が下りることは、まさに1つの時代の終わりを告げるものです。世界で最も長く生産され続けているV8エンジン、6.75Lは、60年以上にわたってベントレーの主力エンジンとして活躍してきました。1959年のデビュー以来、改良を重ねてきましたが、排出ガス規制の強化により、終焉を余儀なくされました。

ミュルザンヌのドライビングを体験するには、何の準備も必要ありません。530馬力、1,100Nmのトルクは驚異的なものです。このトルクは後輪だけに伝達され、2.8トン近いセダンを前へと推し進めます。8速ATは、王室御用達の執事のような繊細さでレシオを駆け抜けていきます。サイズ感に惑わされることなく、静かに仕事を進めていく感覚があります。

ベントレー『ミュルザンヌ・スピード』

コーナーに差し掛かると、その重さにより、ベントレーが2015年に導入した「ドライバー重視のスポーツサスペンションとステアリング」でさえも、ある時点で物理学の法則に従わなければならないことを思い知らされます。スケール感だけで言えば、5,575mmの全長は決して扱いやすいものではありませんが、曲線を描くように走らせると、普通のクルマと同じように曲がっていきます。

ミュルザンヌでのロードトリップは、他のどんな交通手段も忘れさせてくれますが、それはキャビンのおかげでもあります。上質なインテリアを作り上げるメーカーは多くありますが、特別感ではベントレーに勝るものはありません。

ベントレー『ミュルザンヌ・スピード』

ダッシュボード上のコントラストステッチは、各パネルをしなやかにつなぎ合わせています。これはベントレーの職人が縫い付けたもので、彼らのキャリアは英クルーの工場で見習いとしてスタートし、何年にもわたって才能を磨いた後、ミュルザンヌの生産ホールにふさわしい人材へと成長したのです。

最高級の希少なウッドパネルは、温度と湿度が管理された部屋で慎重に積み上げられています。薄くスライスされ、目を見張るようなシンメトリーのブックエンドが施され、ニスを塗り、磨き上げられ、ドーバー海峡のホワイトクリフにも負けない威厳ある姿でダッシュボードに取り付けられます。

ベントレー『ミュルザンヌ・スピード』

すべての部品にはストーリーがあり、1つ1つが人間の手で組み立てられていきます。もちろん、それは美点であると同時に、ボトルネックでもあります。ベントレーは「7,300台以上」のミュルザンヌを生産したと述べていますが、それは単年の生産台数ではなく、11年間の累計です。『フライングスパー』は製造に約130時間を要しますが、これはミュルザンヌのインテリアにかかる時間より短いのです。

フライングスパーはハンサムで速く、ミュルザンヌに見劣りしないテクノロジーを備えた、まさに現代の高級スポーツセダンです。特別なモデルであることに間違いはありませんが、ミュルザンヌはそれを超える存在でした。

ベントレー『ミュルザンヌ・スピード』

伝統を重視するベントレーのような企業を見ていると、急速に変化する世界の中で自分たちの立ち位置をどこに置くか、考えさせられます。今日最も話題になっている自動車メーカーは、創業17年目で、良くも悪くもテック系の新興企業のような経営をしており、指揮を執っているCEOはドライバーレスの未来を予言しながら、自分のクルマが発するバカげた音に笑っているのをよく見かけます。フォルクスワーゲン・グループという巨大企業がその世界に追いつこうとしている中で、ベントレーは一体どこに立っているのでしょうか。

ベントレーは全力で電動化に取り組んでいます。これはリップサービスではなく、2026年までに全車がプラグイン・ハイブリッド車か完全EVになり、2030年にはバッテリー駆動のEVのみとなる予定です。

ベントレー『ミュルザンヌ・スピード』

60年以上ガソリンエンジンの技術を練り上げてきた会社が、化石燃料に別れを告げる姿はどこか悲しいものがあります。しかし、ベントレーのような高級ブランドにとって、電気モーターは理にかなっていることが多く、特にミュルザンヌをも凌駕するトルクを発揮することができます。

長い歴史の中でベントレーを象徴的な存在にしてきた魅力をEVが具現化できるかどうかは、依然として不透明です。しかし、「6 3/4L」V8エンジンは電気モーターとバッテリーに取って代わられるかもしれませんが、ベントレーモデルにはクラフトマンシップが活かされるべき場所があるはずです。

ベントレー『ミュルザンヌ・スピード』

それが未来だとすれば、ミュルザンヌ・スピードはまさに過去のものです。しかし、このセダンの強みは次世代のベントレーを築き上げるのに役立つのではないでしょうか。遺産という意味では、これ以上のものは望めないでしょう。

林 汰久也

愛知県在住28歳♂/ハウスメーカーの営業を経て、IT系ベンチャーのメディア事業に参画。その後退職し、2020年よりフリーの自動車ライターとして活動中/愛車遍歴はマツダ『RX-8』⇒シトロエン『C4』⇒スバル『フォレスター』(今ここ)/ゲームはPS派だが、最近ゲーミングPCが欲しいと思っている。

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