海外で絶賛された日本の名車「S2000」が蘇る

ホンダS2000は覚えていますか? 1999年にホンダが創立50周年を祝うために特別に企画して作られた記念車だ。そこで今年、そのS2000の20周年を祝うために、ホンダアクセスは東京オートサロンで「20thアニバーサリー・プロトタイプ」をアンベールした。

関係者に何で20周年記念車を作ったかを聞くと以下のように格好いい答えが返ってくる。「世代を超えてS2000を愛して乗り続けてもらうために、オーナーの声を開発に反映したエアロパーツやサスなど、記念車に装着する」と。今回、グリルはドレスアップしているし、サスペンションも多少チューニングしているという。また、真っ赤のインテリアは記念車のために特別に作られたそうだ。

なるほど。東京オートサロンで展示することによって、「グランツーリスモ」と映画シリーズ「ワイルドスピード」が好きな若い世代にアピールすると同時に、実際に20年前にS2000に乗っていたおじさんたちは、「良かったね、愛車をドレスアップさせて乗り続けようね」と言いたくなるだろう。そういう気持ちを讃えたい。この日本の名車を忘れて欲しくない。

「え、名車だった?」と疑う読者もいるかもしれない。その通り。日本ではS2000は一時的な人気者だったけど、欧米ではヨダレが出るほどの大スターだった。僕がこの記事で伝えたいのは、ホンダに対する「おめでとう」と、全世界でS2000はどれだけ高く評価されたか、ということ。

「9000回転まで回る化け物」だとか、「世界一の6速MT」だとか、「250psも叩き出す小型スポーツカー」だとか、「0-100km/hは6.2秒」だとか、欧米のメディアでは非常に盛り上がっていた。S2000は、トヨタ2000GT、日産GT-R、マツダ・ロードスターに続いて、海外で最も高く評価される日本車だったかもしれない。

2003年から2006年まで、英国BBC放送局の「トップギア」の調査では人気第1位を保持していたし、2000年から2004年までアメリカの有力誌「カー&ドライバー」の「10ベスト」にランクイン。それに何よりもJDパワーの顧客満足度調査のスポーツカー部門では、2004年から2008年までずっとトップ3台に入っていた。また、国際エンジン・オブ・ザ・イヤー賞の2リッター部門では、2000年から2004年までクラス1位をキープしていた。

カー&ドライバー誌は特に高く評価した。「読者よ、君らの夢のスポーツカーが来たよ。FRで250ps。車重1270kgと軽い。9000回転まで回るし、6MTのシフトフィールはピカイチ。しかも、価格は3万ドルと、どのライバルより安い!」と。

だから、あれだけ売れたのだろう。1999年から生産中止の2009年まで、全世界で11万台販売された。そのうち、6万6千台はアメリカ、2万1千台は日本、1万9千台が欧州だった。

僕は最初に試乗した1999年に、「何、これ?」と思った。こんなにジキルをハイドみたいなスポーツカーはそれまで存在しなかったからね。250psを発揮する2.0Lのエンジンは1000回転から6回転までは、普通の小型スポーツカーのような反応だったけど、7000~9000回転の領域は、別の次元だった。まるでレーシングカーのエンジンのよう音だった。しかも、英国の有力誌「オートカー」が伝えたように、あの6速のマニュアル・トランスミッションは市販車の中で世界一のショート・ストロークとシフトフィールだった。

ホンダ、ありがとう。この20周年記念車を出すことによって、僕らファンに名車のS2000を思い出させてくれた。電動化の時代が来ても、ファン・トゥ・ドライブのスポーツカーを作り続けて欲しいな。

ピーター ライオン

1988年より日本を拠点に活動するモーター・ジャーナリスト。英語と日本語で書く氏 は、今まで(米)カー&ドライバー、(米)フォーブス、(日)フォーブス・ジャパン 、(英)オートカーなど数多い国内外の媒体に寄稿してきた。日本COTY選考委員。ワー ルド・カー・アワード会長。AJAJ会員。著作「サンキューハザードは世界の’愛’言葉 」(JAF出版、2014年)。2015から3年間、NHK国際放送の自動車番組「SAMURAI WHEELS」の司会を務める。スラッシュギアジャパンでは自動車関連の記事・編集を担当し、動 画コンテンツの制作に参画する

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